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言葉の力と幸せのはかり方

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「あいつ、クズだから」

10歳の子どもが口にした台詞です。

驚きました。普段の生活の中で「クズ」と言う言葉を、発することも聞くことも滅多にありません。

そんな言葉を10歳の子どもが口にしたのです。
友達の子どもながら思わず「『クズ』なんて言葉使っちゃダメ!」と言ってしまいました。

どうして使ってはいけないのか、そこまで説明してやっと子どもに伝わることなのに、ただ単にダメと言って終わってしまいました。
大人として反省すべき点ですね。

帰ってからどうして使ってはいけない言葉なのかて考えてみました。

言葉の威力

そこに悪意があろうがなかろうが、言葉の威力というものはあります。

「言霊」という言葉があるくらいですから、発した時点で人に与える力、言葉そのものが持っている力というのはあるでしょう。

声に出した言葉が、現実の事象に対して何らかの影響を与えると信じられ、良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとされた。
(引用元:言霊 – Wikipedia)

それに一度口にした言葉は決して取り消せません。どんなに後悔しても、なかったことにはできないのです。
それまでの行いが全て台無しになってしまうこともある。
言葉や文章は強力な武器になり得るのです。

悪い言葉、たとえ自分に発せられたものじゃなくても聞いてていい気分しないし、なにより発した本人が悪い空気を身にまとうことになりかねません。

幸福度は絶対値ではかる

幸福度は相対的に計ってはいけません。
なぜなら、さっきまで幸せだと思っていたことが一転してしまうからです。

「年収が100万円増えて500万円になった。俺すげー」

と思っていたのに、他者と比べてしまうと、例えば同業他社の年下くんが年収800万円だとわかった途端、急に惨めになってしまいます。

自分の生活が100万円分豊になるのは確実なのに、なんかモヤモヤする、納得いかない。そういう心境になってしまいますよね。
でも、たとえ後輩の年収が300万円だろうが1,000万円だろうが自分の生活は変わりません。なんの影響もない。
500万円の生活に変わりはないのです。

自分が幸せか不幸か決めるのは自分だけ。

幸福度は絶対値ではからないといいことありません。年収が100万円増えて嬉しい、やったぜって思ったらもうそれでいいのです。

「クズ」と言ってはいけない理由

冒頭で述べた子どもは男の子で、友達と喧嘩してボコボコにしてやったと豪語してました。
男の子ですからね、喧嘩くらいします。
10歳の子どもが喧嘩に勝ったと自慢しても「あら~、強いのねー」と聞いてられます。

ではなぜ「クズ」発言に反応してしまったのか。

それは、

悪い言葉を使って欲しくない

人を蔑んで格付けして欲しくない

からです。

悪い言葉を使うと自分まで悪い空気に囲まれて、ベクトルが悪い方悪い方へ向かってしまいます。

彼は珍しいくらい礼儀正しい子で、帰りには「ありがとうございました」と目を見てちゃんと挨拶できる子なんです。
こんな素直でいい子がちょっとした言葉で悪い運気に飲み込まれて欲しくありません。

それに人を「クズ」呼ばわりして格付けすると相関関係が生まれてしまいます。俺は上、あいつは下みたいな。

相関関係が生まれるとどうなるか。

  • クズだと思ってた友達が先生に褒められる
  • 何かで賞を取る

ようなことが起きた場合、「クズのくせに」と言った負の感情が生まれてしまいます。

あいつはサッカーで1位、俺は野球で2位だった場合はどうでしょうか。
相対的に見たお陰で満足度や達成感が薄れたりしませんか。

勉強やスポーツで頑張って満たされたとしても、これでは喜び半減です。

昔、タイガーウッズが全盛期だった頃のインタビューで「僕はゴルフが上手くなりたいんだ」と言っていたのが印象的でした。

すでにNo.1だったのにゴルフが上手くなりたいって・・・
周りは関係なく自分と言う絶対値で見ているからでしょうね。
王者は違うなぁと思いました。強いはずだわ。

最後に

ここまで

悪い言葉を使うと運気がさがる

幸福度は絶対値ではかる

と述べました。

それともうひとつ、悪い言葉を相手にぶつけちゃいけないけど、

相手の行動によって生まれた怒りや憤りはぶつけていい

です。

自分を殺して小さくなることはない。
声を上げたら衝突してしまうことはあるでしょう。
でもそれはそれ、これはこれです。

今度機会があったら「悪い言葉を使ったらいいことないよ」ってちゃんと説明したいと思います。

少しヤンチャだけど、オバケが怖かったりゲームに夢中になっちゃう普通の子どもなんです。
このまま元気にすくすく育つことを願ってます。