コロナウイルスの感染防止のために、急遽小中高の学校が休校になりました。
それについてどうこう言う気はありません。
ウィルスの性質も感染するタイミングもわからない素人の私が、有効的な手段かどうかなんて判断できないもん。
でもね、ネットの反応はなんだかモヤモヤするんですよ。
「共働きの家庭は子供の面倒どうするの?」
「急に言われても仕事休めないんだけど。」
「休校にするなら満員電車もどうにかしろよ!」
至極まっとうなご意見です。
異論はございません。
が、ちょっと待って!
この議論を忘れてませんか?
子どもの教育はどうするの?
緊急事態とはいえ、学びの場を取り上げるってことですよね。
これ、ヤバくないですか?
というのも、つい先日簿記の試験を受けまして、大学のキャンパスを歩きながらこう思ったんです。
学生の頃は勉強が面倒くさかったし、学ぶことの大切さなんてわからなかった。
でも今は、働いてるから学習時間を確保しつつ独学し、なんなら働いたお金をスクールにつぎ込んでプロに教えてもらうしかない。
勉強するのに結構苦労するんですよね。
『学ぶ』ってなんなんでしょうね。
まさか社会人になってから勉強するなんて想像もしてませんでした。
卒業したら勉強はおしまいだと思ってた。
今ならボンヤリとだけどわかります。
学ぶことの大切さ、その価値を。
だから、今回の休校で懸念したのは「子供たちの教育はどうするの?」ってことでした。
病気になってまで勉強しろって話じゃないですよ(念のため)
義務教育を受けたり選挙権をもらえたり、なんの苦労もせずに権利を与えられてきたけれど、ぜんぜん当たり前なんかじゃない。
そりゃ生きづらい時もある。
けれど、私たちはすごく恵まれてるとも思うんだ。
MASTERキートンの「屋根の下の巴里」を読んだことはありますか?
このシーン、好きだなぁ。
キートンの恩師であるユーリー教授が、ドイツ軍によるロンドン大空襲の中で授業を続けた時のセリフです。

そして、教授の思いを継いだキートンはこう語っています。
人間は一生、学び続けるべきです。
人間には好奇心、知る喜びがある。
肩書や、出世して大臣になるために、学ぶのではないのです・・・
では、なぜ学び続けるのでしょう?
・・・それが人間の使命だからです。
(引用元:MASTERキートン)
子どもたちの学びの場、学ぶ機会が失われないことを願うばかりです。